村上龍『オールド・テロリスト』感想文|とりあえず表紙の可愛らしさと内容の残酷さのギャップを無くしてほしい

  • 2022年7月9日

装丁のイメージと本の内容が大きく異なる作品は多いが、村上龍『オールド・テロリスト』の表紙とその内容のギャップは大きすぎる。

このユーモラスな表紙に『オールド・テロリスト』というタイトル。それらに引っ張られて、行為は過激でもどこか遊び心のあるおじいちゃんたちが活躍するコメディータッチのテロリスト小説を連想していた。テロリストという文字の”ロ”のところなんて、ハート形になってるしね。コメディーだと思うよ、普通。でも読み始めるとその印象は一変する。

内容は重く、残酷で、追い詰められるもので、とてもじゃないが楽しみながらホクホク読むような小説ではなかった。読む前のイメージとのギャップが大きすぎて僕自身もかなり心にダメージを負ってしまった。

北野武監督映画で例えるなら『龍三と七人の子分たち』を見るつもりで待っていたら、気が付くと『アウトレイジ』を見ていたような、そんな衝撃を味わった。このギャップは結構ショックだ。

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オールドテロリスト

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あらすじ

「満洲国の人間」を名乗る老人からのNHK爆破予告電話をきっかけに、元週刊誌記者セキグチは巨大なテロ計画へと巻き込まれていく。暴走を始めたオールド・テロリストたちを食い止める使命を与えられたセキグチを待つものは!?横溢する破壊衝動と清々しさ。これぞ村上龍と唸るほかない、唯一無比の長篇。(引用|amazozn)

うだつのあがらない元週刊誌記者のセキグチは、徐々に巨大なテロ行為に巻き込まれていく。記事を書いてほしいテロ組織からセキグチに対して情報が入り、現場に居合わせるようになるが、同時に裏の権力者から大金をもらい、そのテロ行為を食い止めるように依頼を受ける。

非日常に触れすぎて、精神安定剤をかみ砕き、ウィスキーで流しこみ、その状態でもなおテロで人が死んでいく様子を目の当たりにするセキグチが精神的にグチャグチャになっていく様子はかなり痛々しい

想像していた作品のイメージよりもはるかにシリアスで遊びのない作品だが、シリアスな展開の中でも男たちがカツラギの綺麗な脚をジロジロみちゃう感じが描かれており、そこが面白くもあり、非常にリアリティーが生まれていたように思う。

読書感覚的には、淡々とした一人称の語りの印象が同氏の小説『イン ザ・ミソスープ』に近いと感じた。今、まさに感想を書いていて余計自覚したが、パニックの中にある冷静な描写が逆にその場の異常性を掻き立てているように思える。テロ行為の被害描写の残虐さも同様で想像すると、つい顔をしかめたくなるような描写が多く描かれている。

力強い言葉たち

作中には思わず納得してしまう力強い言葉が多く、思わず傾倒してしまいそうになる。そのあたりは確固たるバックボーンを持って文章を書いている村上龍の作品だな、と。そういった言葉と共に感想を書いていきたいと思う。

歴代の首相の中に、日本は焼け跡から出発したわけだから、その気持ちさえあれば経済を再生させることができますなどとふざけたことを言うやつがいたが、焼け野原になってもいないのに、そんな気持ちになれるわけがない。だから、本当に日本全体を焼け野原にすべきなんだ。それですべてが解決するんだよ

まずはテロリスト側の人間だったアカヅキの言葉。

気持ちのもちようでは社会は変わらないと断言している言葉。つまり現実が変わらないと気持ちが変わらないと突きつけるような言葉でもあるので、かなり攻撃的かつ暴力的な言葉だ。人間は強い言葉に惹かれる生き物だ。人によっては流れてしまうのかもしれない。これらの力強い言葉は人を依存させるように思う。

逆に作中では優しい表現も描かれている。

とくに、人間という生き物は図々しくはなれない、という最後の一節が、おれの心を震わせた。よくある「人間という生き物はそれほど強くない」ではなかった。「図々しくなれない」という表現だった。

この言葉が僕はとても好きだ。

「人間という生き物はそれほど強くない」

という言葉はよく聞くが、それだと標準ラインが高く設定されている気になる。ダメだけどしょうがない。というニュアンスだ。

それが、

「人間という生き物はそれほど図々しくなれない」

という表現だと、一般的なラインが低く設定されているようで優しさを感じる。

人間の本質的な部分で、自分を弱いと思ってしまうことはよくあるが、実際は傷つかない人間の方こそ図々しいということはよくある。だから、人間はそれほど図々しくなれないという言葉の方が僕は好きで、優しいと思う。

また、人間の弱さについては他にもこんな言葉があった。

「昨日、おれたちはすごいものを見てしまった。だから混乱しているし、混乱しない人間はいないんだよ。だから、逆に言うと、おれたちは正常なんだ。理解できないものを目の前で見たわけだから、今のおれたちみたいに神経がやられるほうが、まともなんだ」

これはテロ行為を目の前で見てしまって普通でいられなくなってしまった時に発していた言葉。

この言葉を読んだとき、村上春樹『ノルウェイの森』を思い出した。頭がおかしくならないで普通に生活していることの方が遥かに異常であることが、世の中にはたくさんあるのかもしれない。

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解説まで読んでほしい

この作品の解説は田原総一朗さんが書いているのだが、その解説が素晴らしい。田原さんが描くストーリー概略のわかりやすさもさることながら、第二次世界大戦を知る最後の世代としての教訓が書かれており、その意見がとても興味深いのだ

昭和天皇の玉音放送が行われる前は、今のこの戦争がアメリカやイギリスに植民地にされているアジアの国々を独立させる正義の戦争であることを教え込まれ、早く大きくなって天皇陛下のために名誉の戦死をせよと強い口調で言われていた。

しかし、玉音放送が行われた後の夏休み明けにはその意見が180度変わっていて、アメリカやイギリスが正しく日本が間違った侵略戦争をしていたと教師たちが口にしたそうだ。そして、今までの英雄は逮捕され、世論もその流れに乗り、行き着いた先が現在の日本ということになる。

そこで実体験として田原総一朗が得た教訓が以下のようなもの。

少年ながら、大人たちがもっともらしい口調でいうことは信用できないと思った。

とくに偉そうな人間がいうことは信用してはダメだと強く思った。

ラジオや新聞も信用してはダメだと思った。

そして、国家も国民を騙すものだと強く思った。

この不信感こそが戦争を知る世代の原点であり、現在の社会に対する破壊願望であり、漠然と生まれる「怒り」の根源なのだと思う

最後に

作品の中心にある「怒り」の感情を持った世代がもうすぐいなくなる。

怒りが消えた世代に信念を持って世の中を変えていくことが出来るのだろうか。

怒りとは行動力の源であり、怒りがなくなった時に日本人は前に進めるのだろうか。

怒りを源にした行動力を持たない世代だけで構築される社会は、権力のいいなりになって振り回される危険性を常に意識しなければならないと僕は思った。

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